ごあいさつ

澤野 誠
高度救命救急センターは、救命救急センターの中でも広範囲熱傷、四肢切断、急性中毒などの特殊疾患患者に常時対応できる体制が整った機関として国や自治体の認可を受けています。当高度救命救急センターは、そのような高度救命救急センターとしての顔以外にも、日本で随一の本格的重症外傷センターとしての顔を持っています。
我が国では、諸外国と比較して、様々な疾患の診療における集約化が遅れていると言われています。重症外傷も例外ではなく、重症外傷症例が数多くの医療機関に分散し、ひとつの施設あたりの症例数や手術件数は限定されていました。これでは治療成績の向上も望めません。
2007年に救急科(ER)のスタッフが中心となって、当院を基地病院とした埼玉県ドクターヘリの運用を開始しました。これを機に我が国ではおそらく初めての重症外傷のHigh Volume Center(外傷センター)を目指しました。ドクターヘリはまさに「飛び道具」として県内全域に飛び、フライドドクター・ナースが高度な技術で生命をつなぎつつ、多くの最重症外傷患者を搬送してきました。そして重傷外傷センターとして多く医療機関や消防から認知された結果、入院症例のうち重症外傷の割合が70%を超えています。
特にInjury Severity Score(ISS)16以上の重症外傷入院症例は年間400例弱と、最高水準と言われる米国レベル1Trauma Centerの基準である年間240例を大きく上回っています。さらに高度救命救急センターが施行した年間全身麻酔手術件数は約1200件と全診療科中最多となっています。特に頸椎・頸髄損傷手術症例数は、全国DPC病院中圧倒的首位を堅持しています。
診療における量的増加は、質的向上にも繋がり、ISS 41以上の最重症多発外傷症例のCPAOAを除く院内死亡率は20%を下回っており、全国平均(日本外傷データベース)の50%強と比較して非常に良い治療成績を残しています。私自身、2001年に赴任してきた当時では、とても救命できると考えられなかった重症外傷症例が、次々と生きて退院してゆき、とても温存できないと思っていた重度四肢外傷が救肢できてゆく現在の状況は、まさに隔世の感があります。
このような高度救命救急センターの診療を支えているスタッフは、医者としても人間としても極めて多種多様です。内科系・外科系を問わず、様々な専門(診療科)の医者が集まって、それぞれの専門領域の知識や経験を深く追求する一方で、他の専門領域についても日々議論しています。またスタッフ全員が、救急医学関連の学会にとどまらず、外科学会、整形外科学会、集中治療医学会から基礎系の学会にいたるまで、実に多様な領域の国内外の学会にて活躍しています。
大事なことは、診療や研究の中で、スタッフがそれぞれ自分の「夢」を抱くことです。その「夢」は、脊髄損傷の患者さんが全員歩いて帰ること、出血死や感染死や重度四肢外傷の切断をなくすこと、外科医に頼らず外傷を治すこと、新たな治療法を開発すること、等々これも多種多様です。そして、私がセンター長として何より大切にしたいと考えているのは、スタッフ全員がそれぞれの「夢」を実現してゆくことです。
このHPをご覧の皆さん、少しでも埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センター・救急科(ER)に興味をもたれたら是非、長い医師人生のほんの一時期でも良いから、共に過ごしてみませんか。そして「夢」を見つけて、走り出してみませんか。

輿水健治
私の救急医療の出発点は病床数50床ほどの小さな救急病院でした。都内でもまだ救急医療体制が整っていないときでしたから、年間3,000件ほどの救急車を受け入れ、脳外科、外科、整形外科領域の緊急手術を夜中にもしていました。医者になってまだ4年目でしたが、先輩から指導を受けながら、脳出血や急性腹症、様々な外傷患者の手術をしていました。そこで学んだことは、「目の前に病める人がいればいつでも手を差し伸べる」ということです。
そんな私が目指しているのが、シームレスな救急医療です。当院は高度救命救急センター、小児救命センター、総合周産期母子医療センターを持ち、あらゆる専門分野の診療科があります。その窓口となって救急患者を受け入れる体制を整えることを目指しています。
私たちERチームスタッフは、麻酔科、精神科、小児科、脳外科、救急医と出発点は様々です。ドクターヘリや救急ワークステーション方式によるドクターカーを活用した病院前救急医療を始め、ER・高度救命救急センターでの外傷患者を中心に、中毒や重症内因性疾患などの初期診療に従事しています。また、災害医療、精神科救急の普及、あるいは小中学校での蘇生教育普及などに携わっています。
専門職として救急医を志す人は勿論、総合医や内科医などの短期間研修も可能です。救急医療の原点に興味がある方は是非仲間に入りませんか。
理念・基本方針
理念
いつでも、どこでも、その症状に応じ、
必要かつ適切な医療が受けられることを目指します。
また、地域として完結した救急医療を目指して、
地域のほかの医療機関と連携を保ちつつ、
特に他の医療機関で診療困難な救急患者を
積極的に受け入れます。
理念
いつでも、どこでも、その症状に応じ、
必要かつ適切な医療が受けられることを
また、地域として
地域のほかの医療機関と
特に他の医療機関で
積極的に受け入れます。
基本方針
1. 病診連携を推進する。
2. 救急医療に関する地域の各種委員会・会議に積極的に参加する。
3. 他の医療機関との競合は避ける。
4. 当院に要請のあった救急患者には積極的に対応する。
5. 当院通院中の患者の悪化は、当該科が責任を持って対応する。
基本方針
- 病診連携を推進する。
- 救急医療に関する地域の各種委員会・会議に積極的に参加する。
- 他の医療機関との競合は避ける。
- 当院に要請のあった救急患者には積極的に対応する。
- 当院通院中の患者の悪化は、当該科が責任を持って対応する。



将棋やチェスの名手は、盤面を前にして、瞬時に多くの枝分かれした局面がvisualizeされるといいます。切迫した患者さんを前に、どのような病態か、疾患名は、鑑別は、治療は・・・逡巡している時間はありません。自らにも、指示にも、説明にも、混沌とした中だからこそ、明快なvisionを示すことが救急医療には求められます。つねにvisionをもって行動する、そんな救急医療を私たちは目指したいと思います。

将棋やチェスの名手は、盤面を前にして、瞬時に多くの枝分かれした局面がvisualizeされるといいます。切迫した患者さんを前に、どのような病態か、疾患名は、鑑別は、治療は・・・逡巡している時間はありません。自らにも、指示にも、説明にも、混沌とした中だからこそ、明快なvisionを示すことが救急医療には求められます。つねにvisionをもって行動する、そんな救急医療を私たちは目指したいと思います。

病気を治したい、病んだ人を癒したい、苦しみを取り除いてあげたい、元気に歩いて帰って欲しい、そんな素朴で率直なpassionこそ、医療の根幹であり、我々の救急医療の原動力とすべきものです。
「必ず治すぞ!」・・・私たちはpassionを胸に秘めた医療をめざします。

病気を治したい、病んだ人を癒したい、苦しみを取り除いてあげたい、元気に歩いて帰って欲しい、そんな素朴で率直なpassionこそ、医療の根幹であり、我々の救急医療の原動力とすべきものです。
「必ず治すぞ!」・・・私たちはpassionを胸に秘めた医療をめざします。

どんな高邁な理論も、どんな崇高な理想も、卓上の議論で終わっては・・・それは医療に於いてただの絵空事です。どんなに正しい診断でも、どんなに膨大な知識があっても、どんなに緻密な議論を戦わせても・・・それが必要な時期に、必要なだけ実際の治療として行われなければ。求められる場所に居る、どんなに緊迫した場面でも手が動く、身体が反応する、そんなactionを伴った医療を我々は目指しています。

どんな高邁な理論も、どんな崇高な理想も、卓上の議論で終わっては・・・それは医療に於いてただの絵空事です。どんなに正しい診断でも、どんなに膨大な知識があっても、どんなに緻密な議論を戦わせても・・・それが必要な時期に、必要なだけ実際の治療として行われなければ。求められる場所に居る、どんなに緊迫した場面でも手が動く、身体が反応する、そんなactionを伴った医療を我々は目指しています。
そう、3つの内、どれが欠けてもだめなのです。
この3つがそろったときこそ最良の救急医療が実現されると私は考えます。
堤 晴彦
堤 晴彦 病院長インタビュー

埼玉医科大学総合医療センター 病院長(元高度救命救急センター長)である堤教授に、救命医療や高度救命救急センターについて語ってもらいました。
救命医療の魅力と救命救急センターに求められる人材について、学生や研修医のあり方、専門分野への取組みについてなど、様々な角度からインタビューし、このページではQ&A形式にまとめて掲載いたしました。
——救急医療の現場、魅力などについてお話ください。
私どもの高度救命救急センターは、年間に、一次、二次救急合わせて四万数千人の患者さん、三次救急は千数百人の患者さんが運び込まれます。いずれも生きるか死ぬかの、非常に重篤な方ばかりです。そのような患者さんの治療に当たって、医者をはじめとするスタッフ達は、自分が頑張らないと、その人の命が失われるという、非常に緊迫した厳しい状況で仕事をしています。だからこそ、自分が頑張ったことで患者さんの命が救われたときには、これはもう、非常に大きな喜びです。その喜びのために、どんなにきつくても、日夜仕事しているような感じです。
もちろん、中には一所懸命やったけれど力が及ばず、命を落としてしまう患者さんもいらっしゃいます。しかし、そういう場合も、患者さんの家族が納得して「よかった」と思っていただけるような、看取り方ができる治療を提供していきたいと思っています。
「ひとつでも多くの命を救いたい」というのは、医療に携わる者の共通の思いです。自分が頑張ることで、重篤な患者さんの命を救う、またその家族に納得していただく、それが救急医療の一番の魅力なのだと思います。
——センターに入ってどんなスキルが身につくのでしょうか?
救命救急センターに入ろうとするときに、皆さん悩まれるようですね。ひとつは、自分の能力が、救命救急の現場で通用するのだろうか、あるいは専門性が確保できるのだろうかと、そういうことを心配されます。
しかし、救命救急センターで働くことで得られる一番大きな力は、患者さんの全身管理が習得できるということです。外来と違って、患者さんが診療科を選んで来てくれるわけではありません。様々な重篤な患者さんが運び込まれてくるので、呼吸、循環管理、体液管理、あるいは感染に対する管理、そういうものすべてに対応するため、すべてを学ぶことができます。全身を診る習慣ができるというのは、非常に大きいと思います。
細かいスキルで言うと、基本的な挿管にしろ、中心静脈の確保や人工呼吸器の使い方、あるいは血液浄化の方法など、ありとあらゆるものが短期間で集中的に学べます。それは他の科では、絶対習得できないものです。
——どのような人材を求めていますか?
私どもの救命救急センターでは、将来日本の救急医療を背負って立つことができる人材、そういう人を求めています。皆さん自信がないと言われるかもしれませんが、ここで研修を積めば、ほかの様々な施設でも、必ずトップで活躍できる人材になれると思っています。
私どもの救命救急センターで育った人には、現在、各所で活躍している人が大勢います。大学病院の人もいれば、一般病院の人、開業している人もいます。それぞれがみんな、この救命救急センターで培った力を発揮して、社会に貢献できているということです。
はじめは誰でも未熟です。でも、数年後には大きく成長している自分を感じることができるはずです。
——現在の救命救急の体制について
今の日本の救急医療体制は、ある意味で変革期に来ていると思います。
今までは、二次病院を中心としてひとつひとつの施設が少数の症例を扱うなど、患者が分散していました。これからの日本の救急医療というのは、今までの分散型ではなく、地域にひとつの大きな救急を扱う医療施設を作り、そこに患者を集約させると言うことが求められていくんじゃないかと思います。
症例が集まれば集まるほど、経験を積めば積むほど、治療成績が上がるというのは、医学の範囲では常識になっているからです。
私どもの救命救急センターは、全国で9番目の高度救命救急センターに国から指定されており、東日本でも、唯一の高度救命救急センターという位置づけになっています。
ですから私どもの救命センターは、北関東を中心とした大きな地域から、重症患者を集約させて、治療を行うことが求められています。
そして患者さんを集約させるためには、ドクターヘリなどの新たなシステムも極めて重要になってきています。
——現在働いているスタッフについて
私どもの救命救急センターには、非常に多種多様な人間がそろっております。でもひとつの組織で、皆が同じに考えになる必要は決してありません。一人ひとりが、自分の意見がある、自分の意見を持てる、自分の意見を述べられる、そういう組織づくりを目指しています。
救命救急センターと言うのは、名前のごとく、内科とか外科とか、均一のものを扱う場所ではありません。内科系の医者もいれば、外科系の医者もおり、脳外科、整形外科、麻酔科、従来の科で言う様々な診療科の医者が一箇所に集まっています。
そこで繰り広げられる議論と言うのはものすごく充実しています。
脳外科の医者が外科の医者の治療に文句を言ったり、あるいは外科の医者が内科の治療に文句を言ったりと、実に様々な議論がなされる...。そういう議論の中で新しいアイデアと言うものが次々と生まれているのだろうと思います。
実際、私どもの救命救急センターでは、かなり面白く、独創的な研究が行われております。それは、外科とか、内科とかいうそういう中では絶対に生まれないような研究です。
——スタッフの経歴や出身、派閥の有無について
私どもの救命救急センターに勤務している医者の出身大学を見ると、北は北海道から南は九州まで、全国様々なところから来ています。いわゆる旧来型の学閥と言うものは全く存在しません。出身大学の全く異なる医者が、日本の救急医療を良くしたいという思いで集まってきているのだと思います。
——堤先生ご自身が救急医療に携わるようになった経緯、きっかけについて
私自身は、大学を卒業して脳神経外科というところに入局しました。
大学から一般の市中病院に脳外科として派遣され、そのときは脳外科の手術をたくさんやりたいと日夜働いていましたが、一般病院で来る患者さんで純粋な脳神経外科の患者はほとんどいません。
様々な多発外症であったり意識障害であったり、私なりに一生懸命やってきましたが、自分の専門外のところで多くの患者さんを失ってしまったという苦い経験があります。
その時は自分でも本当に様々な勉強をし、自分で診察をして、血管撮影をして、検査をして、患者さんに説明をして、麻酔をかけて、手術をして、そして術後はまた一人で術後管理をするという果てしない戦いで、それはそれで充実していました。しかし、あるとき重要なことに気がつきました。
たとえ自分が勉強してあるところまでできるようになったけれども、結局自分が当直で居ない時には多くの患者さんが命を落としている。一人の医者がどんなに頑張っても限界がある。これはもう、一人の医者の能力ではなく、システムや体制の問題なのではないかと。
そう思ったとき、救急を専門にやる組織を作らなくてはいけないんじゃないかと思って救急医療の道に入っていったのです。
今、こういう救命救急センターという組織を作って、自分が手術しているとき、手術が終わった後は他の人間が術後管理をしてくれる、あるいは他の人間が手術をしているときは術後を自分が見るという、チーム医療がなされている。それは、非常に充実した医療、安心できる医療という感じがします。
救命救急センターのいいところは、やはりチーム医療を行っていることだと思います。医師同士のチームと言うのもありますし、医師と看護師というチームもある。あるいは医師とME技師・放射線技師というチームもある。さらに最近もっと重要だと思っているのは、救急隊員とのチーム医療なのです。
病院に来る前、来た時の患者の状態が悪ければ、我々医療スタッフが病院でどんなに頑張っても、治療成績はそんなに上がらない。ところが救急隊員と一緒にお互い情報交換しながら、いい状態で病院に来れば、治療成績も上がる。そういうチーム医療が大きな魅力であると思います。
埼玉県においても、そういう救急隊との様々な連携の中で、交通事故死亡者の数が近年激減しています。それは救急隊員が病院にくるまで一生懸命やっているということの表れだと思います。そういう意味で、皆が協力しあって地域の医療を支えるということが、何よりも重要なのだと感じています。
——遊んでばかりいる学生でも、医師になれるでしょうか?
私自身は、大学時代ボート部に属していて、あまり勉強していませんでした。
確かに、学生時代真面目にやってた人が基礎でも活躍してる場合が多いと思うんですけども、臨床系に関しては私の見るところ、学生時代あまり勉強しないでスポーツだとか、遊びとか、麻雀とか、そういうのに一生懸命やってた人間が立派な医師になってるな、という感じがあります。
でもそれは、遊んでればいい医者になれるという事ではなく、卒業して、みんな必死になって勉強したのだろうと思います。学生時代の成績がいいとか悪いとかで医師になれるかどうかが決まるわけではなく、気にすることはありませんが、いずれにせよ努力は必要だと思います。
——他のところで研修してから来たいと思っているのですが…
今、臨床研修員制度が始まって『2年間いろいろな病院で研修を積む』ということになっていますが、2年終わった段階でどうしようか悩むのではないかと私は思います。もちろん私どもの救命救急センターでは、2年終わった後でも歓迎しています。
でも私どもの救命救急センターで1~2年全身管理を学ぶと、どこの科に行っても非常に重宝されるのはもちろんのこと、それだけの臨床能力を身に付けていれば大事にされるし、その後専門に進まれても非常に伸びると思っています。
救命救急センターで1年間研修して、それから外科に行ったり、泌尿器科に行ったり、循環器内科に行ったりという人もいますけども、2年目の時点で皆、既存の各課で育った人よりも遥かに高い臨床能力を身に付けています。
1年間やれば、各課の病棟医長と対等以上に渡り合えるだけの力がつくと思いますし、そのようになりたい人を積極的に求めています。
——学位や専門を持っていたほうがよいのでしょうか?
救急医療の分野でも、救急の専門医、指導医という資格があります。けれども、それと共にもうひとつサブスペシャリティとして何かの専門医を持つというのが、私どもの目指す一番大事なところです。
例えば外科の専門医であったり、内科の専門医であったり、循環器の専門医であったり、そういうのは医師として重要ですから、ずっと救命センターでそのままというのではなく、救命を志すからこそ、ある一時期そういう科に行って、専門の勉強をしてまた戻ってくるということも考えております。あるいはそのまま各課に行っていただいても全く拘束するものではありません。
また、最近は学位というものをあまり重要視しなくなっている、という感じがしますけども、僕は長い医者の人生の中で、やっぱり一定期間はきっちりした研究をやって、論文を書いて、その結果として学位をとって欲しいと思っています。学位をとること自体が目的になると言うのは決して好ましいことではありませんが、勉強する、論文をまとめる、そういうことは医師として必要だと思っています。
幸いな事に私どもの大学は、旧帝国大学と違って、まだ博士号が非常に取りやすい状況にあります。そういうチャンスがあれば必ず学位をとる、という気持ちで臨んで欲しいと思います。
臨床の中で感じたテーマでやれば、そういうのが本当の研究だろうと思います。当救命救急センターで学位をとった中には、ココアの研究で博士号を取った人もいますし、熱傷でとった人もいるし、非常にユニークなテーマで研究がなされています。
既存の各課の研究体制では、教授、助教授、講師の方々がいて、各々既存の研究テーマが存在し、若い先生は研究のラインの中でどこかに組み込まれて仕事をさせられる、というような感じですよね。
ところが私どもの救命救急センターが面白いのは、下の意見が積極的に取り上げられるところだと思います。
例えばココアの研究なのですが、かつて非常に重篤で命を落すだろうと思っていた者さんが居て、主治医が、じゃあ好きなものを食べなさいと言ったところ、その患者さんはチョコレートを一日何枚も食べていたんです。そしたら、どんどんそれから良くなって、重篤な傷が治ってしまったということがありました。その時若い先生が、これはココアの成分が傷を直すと言う事に働いたんだ、ということを軽く言ったんです。普通だったら、そんなことはないだろうと、一言で終わるんですけども、当救命センターの医師たちは、確かに何かあるかもしれない、ということに気づき、研究がはじまった。現場の見た人の意見で研究がスタートした。そして今では、ココアだけでも大きな研究テーマになっています。
現場で感じたことを一笑に付さない・・・そういう土壌を、当救命救急センターは持っており、それが当救命救急センターの力にもなっているのだと感じています。
これまでの歩み
1987年4月 | 埼玉県で2番目の第三次救急医療施設として開設 |
1996年12月 | 救命救急士の就業前研修が開催される |
1997年10月 | 防災ヘリ活用の合意が得られる |
1999年3月 | 全国で9番目の高度救命救急センターに指定される |
2000年12月 | 川越警察署長より感謝状 |
2002年6月 | 第15回日本脳死・脳蘇生学会:会長:堤教授 |
2003年 | ICUチーム発足 |
2003年6月 | CCUユニットが設置 |
2003年9月 | MCDMAT誕生 |
2004年7月 | ME常駐 |
2004年10月 | 新潟中越地震の救助活動に派遣。 |
2005年10月 | パキスタンに派遣 |
2006年4月 | ER科開設 |
2007年 | ドクターヘリ開始 |
2008年2月 | 第58回日本救急医学会関東地方会:会長:堤教授 |
2009年4月 | 専属の救急救命士が入職 日本航空医療学会施設認定 |
2010年7月 | 秩父山中で防災ヘリの墜落事故発生 |
2011年3月 | 東日本大震災:ドクターヘリ、DMAT派遣 |
2012年9月 | 堤教授が病院長就任、杉山教授がセンター長に就任 |
2013年 | MTP開始 ドクターヘリ格納庫完成 |
2014年4月 | 新病棟工事開始 64列CT導入 |
2014年5月 | 第12回日本臨床医学マネジメント学会:会長:堤病院長 |
2015年 | 内視鏡システムOlympus EVIS LUCERA ELITE導入 超音波装置GE LOGIQ P7導入(造影エコー導入) |
2015年10月 | 第43回日本救急医学会総会開催:会長:堤病院長 |
2016年4月 | 救命センター新病棟開設、Zeegoが稼働 救命ICU 16床、HCU30床で開始 |
2016年10月 | 第23回日本航空医療学会開催:会長:杉山教授 |
2017年4月 | 救命センターHCUが32床に増床 |
2017年12月 | 救命年間手術件数がはじめて1000件を超える(1138件/年) |
2018年4月 | 救命センターでのIVRチーム発足 手術室にO arm導入 超音波装置FUJIFILM FC1導入 |
2019年4月 | 救命センター長に澤野教授が就任 後方病棟が統一され22床へ増床 救命センター専用手術用顕微鏡(ZEISS TIVATO700)導入 |
2020年4月 | 外傷センター長に井口教授が就任 超音波装置GE Venue導入 |
スタッフ紹介
救命救急センタースタッフ
教授
堤 晴彦
Haruhiko Tsutsumi
職 位 教授・病院長
卒 業 東大S52卒
資 格 日本救急医学会指導医、日本脳神経外科学会専門医
趣 味 推理小説
救急医療の専門家であるほか、日本で数少ない頭部外傷、頭部外傷救急の専門医としての知識や経験を生かし内外で活躍。赴任以来の精力的な活動により、現在の高度救命救急センターを作り上げた中興の祖。平成18年、ER部門を併設予定のため、高度救命救急センター長から両部門を統括する救急センター長となる。


堤 晴彦
Haruhiko Tsutsumi
職 位 教授・病院長
卒 業 東大S52卒
資 格 日本救急医学会指導医、日本脳神経外科学会専門医
趣 味 推理小説
救急医療の専門家であるほか、日本で数少ない頭部外傷、頭部外傷救急の専門医としての知識や経験を生かし内外で活躍。赴任以来の精力的な活動により、現在の高度救命救急センターを作り上げた中興の祖。平成18年、ER部門を併設予定のため、高度救命救急センター長から両部門を統括する救急センター長となる。
澤野 誠
Makoto Sawano
職 位 教授、高度救命救急センター長、診療部長、研究副主任、研修医指導責任者
担 当 外科チーム
卒 業 東大S61卒
資 格 日本救急医学会指導医
趣 味 天体観測、天体写真
一般外科から血管外科その他幅広いレパートリーを誇り、「天才」の名を恣に。もと帰国子女にて英語堪能。呼気ガスの研究の第一人者でもある。


澤野 誠
Makoto Sawano
職 位 教授、高度救命救急センター長、診療部長、研究副主任、研修医指導責任者
担 当 外科チーム
卒 業 東大S61卒
資 格 日本救急医学会指導医
趣 味 天体観測、天体写真
一般外科から血管外科その他幅広いレパートリーを誇り、「天才」の名を恣に。もと帰国子女にて英語堪能。呼気ガスの研究の第一人者でもある。
井口 浩一
Koichi Inokuchi
職 位 教授、外傷センター長、診療副部長(整形外科)
担 当 整形チーム
卒 業 東大S63卒
資 格 日本整形外科学会専門医、脊椎脊髄外科専門医、日本救急医学会指導医、日本脊椎脊髄病学会指導医、ICD
趣 味 日曜大工
准教授
中田 一之
Kazuyuki Nakata
職 位 准教授、診療副部長、病棟医長(HCU)
担 当 ICUチーム
卒 業 帝京大S63卒
資 格 日本内科学会専門医、日本循環器学会専門医、日本インターベンション学会名誉専門医、日本救急医学会専門医、日本集中治療学会専門医
趣 味 ガンプラ
カテ屋と一般内科医のそれぞれを第一線で両立する希有な存在。さらに循環器内科とともに増加著しい急性冠疾患の患者をうけもつCCU担当として尽力。
講師
大河原 健人
Kento Okawara
職 位 講師、教育主任、外来医長
担 当 外科チーム
卒 業 杏林大H4卒
資 格 日本外科学会専門医、日本救急医学会専門医
趣 味 カヤック、ピアノ
助教
上村 直子
Naoko Kamimura
職 位 助教、教育副主任
担 当 整形チーム
卒 業 東女大H2卒
資 格 日本整形外科学会専門医
趣 味 テニス、マラソン
森井 北斗
Hokuto Morii
職 位 助教、専門医員
担 当 整形チーム、重度四肢を主に担当
卒 業 旭川医大H13卒
資 格 日本整形外科学会専門医
八幡 直志
Tadashi Yahata
職 位 助教、専門医員
担 当 整形チーム、脊椎外傷を主に担当
卒 業 弘前大H14卒
資 格 整形外科専門医・日本整形外科学会認定脊椎脊髄病医・外傷専門医
趣 味 自転車
松田 真輝
Masaki Matsuda
職 位 助教
担 当 外科チーム、IVRチーム
卒 業 和歌山県立医大H17卒
資 格 日本外科学会専門医、日本消化器外科学会専門医
趣 味 クラッシックギター、テニス、料理
高橋 翼
Tsubasa Takahashi
職 位 助教、専門医員
担 当 整形チーム
卒 業 東京医大H17卒
資 格 日本整形外科学会専門医
大井 秀則
Hidenori Oi
職 位 助教、専門医員
担 当 ICUチーム
卒 業 東京医大H18卒
資 格 救急専門医、救急一般、集中治療、中毒、感染症
趣 味 サーフィン、つり
平松 玄太郎
Gentaro Hiramatsu
職 位 助教、専門医員
担 当 ICUチーム
卒 業 埼玉医大H20卒
資 格 日本救急医学会専門医
今本 俊郎
Toshiro Imamoto
職 位 助教、総務担当医長
担 当 IVRチーム、外科チーム
卒 業 昭和大医H23卒
資 格 日本救急医学会専門医
松田 浩美
Hiromi Matsuda
職 位 助教
担 当 整形チーム
卒 業 香川大医H22卒
資 格 日本救急医学会
笠原 知樹
Tomoki Kasahara
職 位 助教
担 当 整形外科チーム
卒 業 慶應義塾大医H24卒
資 格 日本整形外科学会専門医
趣 味 筋トレ、アイスホッケー
村瀬 真
Makoto Murase
職 位 助教
担 当 脳外科チーム
卒 業 熊本大医H25卒
資 格 日本脳神経外科学会専門医
久木原 由里子
Yuriko Kukihara
職 位 助教
担 当 ICUチーム
卒 業 埼玉医大H26卒
平埜 貴久
Takahisa Hirano
職 位 助教
担 当 外科チーム
卒 業 札幌医大H27卒
田中 はるか
Haruka Tanaka
職 位 助教
担 当 外科チーム
卒 業 信州大医H29卒
田沼 悠太
Yuta Tanuma
職 位 助教
担 当 整形チーム
卒 業 日本医大H28卒
趣 味 車
原 敬
Takashi Hara
職 位 助教
担 当 整形チーム
卒 業 香川大学H18卒
資 格 日本整形外科専門医
趣 味 読書
濱田 泰彰
Yasuaki Hamada
職 位 助教
担 当 整形チーム
卒 業 産業医科大学H27卒
趣 味 運動、筋トレ
客員教授
間藤 卓
Takashi Mato
職 位 客員教授、自治医科大学医学部救急医学講座教授
担 当 ICUチーム
卒 業 新潟大S62卒
資 格 日本救急医学会指導医、日本集中治療学会専門医
趣 味 写真、デザイン、猫、熱帯魚、野草、オーディオ・電子機器製作
基礎指向の研究者がなぜか救急・集中治療に・・・動植物などの広汎な知識や趣味が今は救急医療で生かされているのは皮肉。現在も"間藤細胞"を中心として広汎な研究を展開。ココアなどの研究では特許出願多数。


間藤 卓
Takashi Mato
職 位 客員教授、自治医科大学医学部救急医学講座教授
担 当 ICUチーム
卒 業 新潟大S62卒
資 格 日本救急医学会指導医、日本集中治療学会専門医
趣 味 写真、デザイン、猫、熱帯魚、野草、オーディオ・電子機器製作
基礎指向の研究者がなぜか救急・集中治療に…動植物などの広汎な知識や趣味が今は救急医療で生かされているのは皮肉。現在も"間藤細胞"を中心として広汎な研究を展開。ココアなどの研究では特許出願多数。
大饗 和憲
Kazuhiro Oae
職 位 客員教授
担 当 整形チーム
卒 業 島根大学H10卒
資 格 日本整形外科専門医
趣 味 車、DIY、釣り
非常勤講師
佐藤 直人
Naoto Sato
職 位 非常勤医師
担 当 整形外科チーム
卒 業 産業医大H25卒
ERスタッフ
教授
輿水 健治
Kenji Koshimizu
職 位 教授、診療部長、副院長
卒 業 東京医大S56卒
専 門 麻酔学、脳外科学


輿水 健治
Kenji Koshimizu
職 位 教授、診療部長、副院長
卒 業 東京医大S56卒
専 門 麻酔学、脳外科学
准教授
久村 正樹
Masaki Hisamura
職 位 准教授、研究主任
卒 業 北里大H17院卒
専 門 救急科、精神科
資 格 日本救急医学会専門医、精神保健指定医、日本精神神経学会精神科専門医・指導医、日本心身医学会心身医療科専門医、日本行動療法学会認定行動療法士・編集委員、JATECシルバーインストラクター、ICLSワークショップディレクター、MCLSインストラクター、ISLSディレクター
趣 味 柔道
講師
安藤 陽児
Yoji Ando
職 位 講師(高度救命救急センター兼任)、教育主任、診療副部長、病棟医長
卒 業 獨協医大S60卒
専 門 外傷外科、航空医療
資 格 日本救急医学会専門医、日本外傷診療研究機構JATECインストラクター、日本航空医療学会認定指導者
趣 味 舞台、歌舞伎鑑賞、サイクリング
中村 元洋
Motohiro Nakamura
職 位 講師、教育副主任、研究副主任
卒 業 産業医大H12卒
専 門 救急医学、麻酔科学、病院前診療
資 格 日本麻酔科学会指導医、日本救急医学会専門医、日本航空医療学会認定指導者
趣 味 ランニング、バスケ観戦、キャンプ、教育
助教
園田 健一郎
Kenichiro Sonoda
職 位 助教
卒 業 埼玉医大H17卒業
専 門 救急医学、災害医学
資 格 救急科専門医、日本DMAT隊員(統括DMAT)、ICLSディレクター、JPTECインストラクター、MCLS CBRNE世話
救急救命士
安齋 勝人
Masato Anzai
職 歴 埼玉県南西部消防本部
専 門 プレホスピタル、蘇生、救命士教育
資 格 PTEC・MCLS世話人、ICLSインストラクター、PEMECマスターイントラ国士館大学大学院 修士、防災士
趣 味 バイク、スポーツ観戦
野木 祐介
Yusuke Nogi
卒 業 東京医薬専門学校H30卒
専 門 蘇生普及、救命士・学生指導
資 格 JPTECインストラクター
趣 味 野球、写真
メディカルアシスタント
増田 聡
Satoshi Masuda
卒 業 明治大学H25卒
業 務 医師の臨床業務以外の事務作業サポート
資 格 BLSプロバイダー FP2級・AFP認定
趣 味 野球観戦 読書 温泉旅行
非常勤講師
清水 敬樹
Keiki Shimizu
専 門 ECMO (Respiratory ECMO, ECMO transport)、広範囲熱傷、母体救命
資 格 日本救急医学会指導医・専門医、日本集中治療医学会専門医、日本外傷学会専門医、日本熱傷学会専門医、日本蘇生学会指導医
淺野 祥孝
Yoshitaka Asano
卒 業 福島県立医大H16卒
専 門 救急医学 小児科学
資 格 小児科専門医、認定小児科指導医、麻酔科標榜医、PALSインストラクター、BLSインストラクター
趣 味 息子の野球と娘の水泳の応援団(長)、少年野球コーチ
遠井 敬大
Takahiro Toi
専 門 家庭医療、総合診療、救急医学
資 格 家庭医療専門医・指導医
奈倉 武郎
Takeo Nagura
専 門 救急医学、集中治療学、麻酔科学
資 格 麻酔科専門医・指導医
濱口 純
Jun Hamaguchi
専 門 救急医学、集中治療学、内科科学
資 格 救急科専門医、認定内科医、認定産業医
光銭 大裕
Daiyu Kosen
専 門 救急医学、集中治療学
中村 倫太郎
Rintaro Nakamura
専 門 救急医学、麻酔科学
杉浦 潤
Jun Sugiura
専 門 救急医学、集中治療学
資 格 救急専門医、集中治療専門医、JATECインストラクター
田口 博一
Hirokazu Taguchi
専 門 救急医学、研修医教育
橋本 昌幸
Masayuki Hashimoto
専 門 救急医学
資 格 救急専門医、外科専門医
林 哲也
Tetsuya Hayashi
専 門 麻酔科学 救急医学
資 格 麻酔科専門医
趣 味 アウトドア(キャンプ 山登り)
佐藤 裕一
Yuichi Sato
専 門 救急医学、集中治療学、内科科学、母体救命
資 格 認定内科医、J-MELSインストラクター、ECMOプロジェクトインストラクター
金子 仁
Hitoshi Kaneko
専 門 救急医学、内科学、集中治療学
資 格 救急科専門医、認定内科医、集中治療専門医
堀越 佑一
Yuichi Horikoshi
専 門 救急医学、集中治療学、循環器内科学
資 格 救急科専門医、認定内科医、ICLSインストラクター、日本DMAT隊員
多田 昌弘
Yoshihiro Tada
専 門 小児救命救急、病院前診療、災害医療
資 格 日本救急医学会救急科指導医・専門医、日本専門医機構小児科専門医、日本航空医療学会認定指導者、日本DMAT隊員